ヤドカリの中身ってどんなかな?
「今はもう秋〜誰もいない海〜知らん顔して〜人がゆきすぎても〜私は忘れない〜海に約束したから〜つらくても〜つらくても〜死にはしないと〜(トワエモア)」なんて歌が聞こえてきそうな海の波打ち際で、ヤドカリの引っ越し真っ最中に遭遇しました。現在の貝殻よりも一回り大きい貝殻にお引越しのようです。ヤドカリの中身って見たことないんですが、皆さんは見たことありますか?どんなふうになっているのか興味津々で撮りました。
良さげな貝殻を内覧中 入り口の感じはOK これに決定! お引越しスタート 素早い動きで スポッと入りました
ヤドカリトヤドカリノヤリトリ
素早い動きで一瞬で引っ越すヤドカリの動きにはびっくです。そして右上の貝殻もヤドカリなんですが、どうやら引っ越しをしているヤドカリの空き家を狙っていることがこの後に発覚しました。この2匹のヤドカリのやり取りについ笑ってしまいました。その様子を動画に撮ってありますので是非見てみてください。(動画は最後の方に2本アップしております。)
ヤドカリはリフォームの達人
実はヤドカリはリフォームの達人でもあるんです。って知らないですよね。私も知りませんでした。体が大きくなれば、今より大きな貝殻に引っ越しをするものと思っていたのですが、種類や個体によっては体が大きくなっても小さくなった貝殻の中を削ったりして住みごごちをよくしてリフォームしながら住んでいるヤドカリも居るそうです。今でいうDIYですね。かなりお気に入りの我が家なんでしょうね。
アマンと呼ばれるヤドカリの神様
沖縄、奄美の島々では「アマンが天の神の命令で天にかかっている七色の橋から土や石を海原に投げて、それをかき混ぜて島を作った。その中から最初にヤドカリが現れ、その穴から人間の男女が産まれた。そしてその二人から八重山の子孫が栄えた。」という神話があるそうです。その昔、ヤドカリのことをアマンと呼び、ヤドカリは、聖なるものとみなされていました。アマンは死者の霊を弔うものとされ「ヤドカリ葬」が江戸時代末期頃まで執り行われていた集落があったそうです。この集落では、人が亡くなると『ニャーデバナ』と呼ばれている岩礁に遺体を運んでいたそうで、アマン(ヤドカリ)に食べられることによって天に昇っていくと言われていました。この集落の人たちにとっては『ニャーデバナ』は『天に通る道』とされていた聖地なのですね。ヤドカリは聖なるものとは知りませんでした。
貝殻探しは自分探しなのかヤドカリに問うてみた
貝殻探しは、自分探しなのかをヤドカリに問うてみた。実際に聞けたら面白いのだがヤドカリ語はグーグル翻訳には無いので聞くことは不可能に近い、というか無理で〜す。なのでここから先は想像です。この2匹のヤドカリを見ていると、どうも右上のヤドカリは、自分の貝殻と引っ越し最中のヤドカリの貝殻を見比べて比較し羨ましいな!いいな!と思っていたんだろうなと、要は自分と他人を比較して他人の方が良く見えて羨ましく思い、自分もそうなりたいなと考えた、しかし実際によく見てみたら、思っていたのとは全く違っていて、やっぱり自分の方がいいと気がついた。自分は自分で自分らしくが一番!それに気づいたヤドカリは、スタコラサッサァーとその場を離れて行きました。ヤドカリって、なんか人と同じなのねと笑ってしまいました。(2本目の動画)